RINさん

私らしい「家庭・仕事・病気」の両立って?
家族の支えに励まされ模索してきた10年間

公務員としてフルタイムで働きながら、家族団らんの時間を思い切り楽しむ、というメリハリのある生活を送っているRINさん。いつか紆余曲折あったこれまでの体験を1冊の本にして、同じように病気で辛い思いをしている人に伝えたいと青写真を描いています。

多発性硬化症(以下、MS)の予兆となる症状が出たのは、2009年の年末。ちょうど大学時代から目指していた司法試験の勉強に区切りをつけ、公務員試験にシフトして合格した頃でした。右足の膝から下に虫が這うようなビリビリと痺れる感覚を覚え、その後に脱力も。ようやく勉強漬けの日々から解放されて、自分の時間を楽しもうとしていたときだったので、自分の体の不調に戸惑いました。

慌てて近所の総合病院で MRIを撮って診てもらったところ、なんと「脊髄の悪性腫瘍で今すぐ手術が必要」と言われ、さらに余命宣告まで受けました。あまりのショックで何も手につきませんでした。日ごとに脱力の症状はひどくなっていく中、手術をするしかないのかと諦めていたとき、今の夫が必死で何とかしようと、別の病院でセカンドオピニオンを受けることを勧めてくれました。そこであらためて検査してもらったところ、腫瘍ではないことが判明したんです。だから、その後にMSと確定診断されたときは、死なないで生きていける、治療できるだけありがたいと思いました。

入庁後の当時の私は、バリバリ仕事をしていました。組織内で病気のため休職する同僚のカバーもするようになり、始発で行って終電で帰るほどでした。でもその忙しさから再発・入院を繰り返し、病気のせいで思うように働けない葛藤や、このままで将来子どもが持てるのかといった不安がありました。そんなとき、心に響いたのが入院中にお世話になった医師のひと言です。「誰でもやりたいことをすべて叶えるのは難しくて、優先順位をつけて生きている。仕事と家庭(出産)、どちらを優先するかだと思うよ」。目から鱗でした。私にとっての優先順位はこれから家族と一緒に楽しく生活するために健康を維持することが一番で、仕事は二番目だと、考えが切り替わりました。そして、以前の上司の勧めで難病申請をし、定時で仕事を終えて成果を出す働き方に切り替えました。出産後は、育児中に症状が再発して大変な時期がありました。それでも息子は小さいながら理解してくれ、食後のお皿を自分で洗ったり、暑いと症状が出ることを知っているので、「暑いからママは外に出ちゃだめ」と制止してくれたことをつい昨日のことのように思い出します。

新型コロナの影響で在宅勤務ができるよう配慮してもらっているので、息子と一緒にいられる時間が長くなったことには感謝しています。誰もが同じ環境ではないので、周囲に理解を求めるのは難しいかもしれません。自分がどう生きたいのか、将来どうありたいのかを現在の姿をふまえて考え、行動に移していきたいと思います。いつか、自分の経験をまとめた本を出版できればいいな、と考えています。

撮影:国分真央 MAO KOKUBU
フォトグラファー。東京都出身。広告、PR、CDジャケット、書籍表紙など、
Instagramを中心に幅広く活躍中。