高垣勝さん

難病のせいで辛い思いをするのは自分だけでいい。
MSへの理解を深め、誰もが働きやすい環境を目指して

はつらつとした笑顔で論旨明快に話す姿が印象的な高垣勝(しょう)さん。難病の人が落ち込んでいると心配されるからと明るく笑っていたいと話します。9歳から大学院まで化学の世界に没頭しながらも、病気の辛い経験を糧に、今新たな夢に向かって一歩ずつ、着実に歩みを進めています。

初発は高校3年生の1月、大学のセンター試験を控えていた真っ只中に、下半身の脱力からはじまりました。慌ただしい時期だったのでそれどころではなく、どうせ運動不足だろうと1年ほど放置していたら、両手の痺れや左目の視野狭窄などの症状が一気に出て、そこで病院を受診したら、多発性硬化症(以下、MS)と診断されました。

一度再発した後の大学 2年から大学院卒業までの 4年間は、無症状で過ごすことができたのですが、大変だったのは就職後。技術派遣の会社に研究員として就職したのですが、急激な環境の変化や人間関係の不安から、症状が悪化し、入社して4カ月目に入院。そして退院後、上司に呼び出されて言い渡されたのが退職勧奨でした。どう説明しても、難病というイメージが強いせいで理解が得られず、派遣先で急に倒れられると顧客に迷惑がかかるの一点張りで、退職を余儀なくされました。

そんな悔しい経験から、MSの理解をもっと社会全体に広げなければ、難病の人や障がいのある人が安心して働ける環境づくりをしなければと、強く思うようになりました。もともとは大好きな化学の研究職に再度就きたいと思っていましたが、今は福祉職が自分の目標であり、使命だと感じています。こうした私の考えは、理学部で研究論文を作成する際に古今東西さまざまな研究者の文献や業績を調べていたことが関係しているのかもしれません。つまりそれは、「新たな問題に苦しむのは、最初に経験したそのひとりだけで十分だ」ということ。難病で就職や就労に苦労するのは自分が最後になればいい、できれば誰にも経験してほしくない。それを考えて問題解決に取り組めば、おのずと課題や問題はなくなっていくんじゃないかと思っています。

MSは古くから知られている病気で、多くの専門書やサービス、支援が充実しています。それらを元に、まずは自分が信頼をおける情報を手に入れて、しっかりとコミュニケーションがとれる先生を見つけることが安心への第一歩だと思います。そして自分自身も、趣味の読書で学んだ「一日一日を真剣に生きる」ことを胸に刻み、MS当事者だからできることを日々考えながら、目標に向かって進んでいきたいです。

撮影:国分真央 MAO KOKUBU
フォトグラファー。東京都出身。広告、PR、CDジャケット、書籍表紙など、
Instagramを中心に幅広く活躍中。