清水彩さん

思いっきり泣いたら、前を向く!
自分らしい選択で人生を拓いていきたい

夫の転勤に伴い、国内外さまざまな土地で暮らしてきた清水さん。慣れない環境や、突発的に起こる多発性硬化症の症状に向き合う中で支えにしていたのは、「ちょっとずつ猛進」という言葉。不安を抱えながらも、えいっ!と潔い決断と行動で前へ進もうとする清水さんの姿は、いい意味で肩の力が抜けた、自然体でポジティブなエネルギーに満ちています。

最初に体の違和感を抱いたのは、26歳の頃。夫の仕事に帯同してフィリピンに引っ越した直後でした。日本では看護師として働いていたのですが、現地ではその資格が使えないので、語学学校に行ったり、現地の日本人コミュニティの団体に参加してみたりと、新しい環境になじもうと活動的に過ごしていました。
ある日、ヨガのレッスンを受けていた時にふと首を下に曲げたら、おへそから足の先にかけてじわーっと痺れる感じがあったんです。しばらく安静にしていたものの一向に治らず。同じ頃、持病の喘息や鼻炎の発作が出てきたこともあって、現地の総合病院を受診しました。

そこで痺れのことを相談してみたものの、「原因不明」で精密検査は受けられず、周囲の知人は「フィリピンの気候のせいじゃない?」というはっきりしない答えが返ってくるばかり。ここでは真相にたどり着けないと思い、一時帰国して日本の病院を受診することに。ただ、日本でも最初に診てもらった病院の診断は「肩こり」。納得がいかず、その日のうちに総合病院の整形外科を受診してMRIを撮ったところ、多発性硬化症(以下、MS)の可能性が高いことを告げられました。
……その日は、この9年間で一番泣いていた日かもしれません。MSが難病であることは知っていたので、動けなくなるかもしれない、これからどうなるのだろうと、告げられた時は一気に血の気が引いて、まともに立っていられないほどでした。夫はまだフィリピンに居たので、病院の帰りに母や姉に泣きながらMSのことを告げ、小さい頃からお世話になっているかかりつけ医の先生にも会いに行き、話を聞いてもらいました。

その後、すぐに紹介先の大学病院でMSの確定診断を受け、フィリピンからそのまま帰国することに。夫は私の体を考えてくれて、リモート業務に切り替えて日本に戻ってきてくれました。もともと海外思考の強かった彼が、ためらわず帰国の決断をしてくれたのは、本当にありがたかったし、心強かったですね。
発症・診断から9年が経つ中で、今も唐突に痺れや痛みを感じたり、今までなかった部位に突然症状が出たり。その度に、やっぱりへこみます……。でも、そういう時はとことん沈んで思いっきり泣きます。涙でいろんな想いを流したらスッキリするし、沈みきったら次は上がるだけだから!

昨年末、信頼できる先生との出会いを機に、MSとの向き合い方を見つめ直すことができました。現実逃避、と言われるかもしれませんが、今まではあえてMSについて詳しく調べませんでした。それが心を保つ自己防衛策だったというか。でも、これからのライフステージの変化を見据えて、今一度MSのことをしっかり勉強しようと思っています。一度は人生の歩みが止まってしまったような気がして落ち込みましたが、「進むスピードが遅くなったとしても、前に進んでいることには変わりはない」と、少しずつマインドチェンジもできるようになりました。時々感じる体や心の不調は自分へのブレーキだと信じて、長い目で付き合っていこうと思います。

撮影:国分真央 MAO KOKUBU
フォトグラファー。東京都出身。広告、PR、CDジャケット、書籍表紙など、
Instagramを中心に幅広く活躍中。